第23話「フリージア」

その後はそれぞれあてがわれた部屋に戻ることになった。

 

部屋へ戻るさなか、ベルは戸惑いを隠しきれなかった。

あなたの先祖は大変優秀な人でした、だからあなたが選ばれましたと言われても、はいそうですかというわけにはいかない。

先祖と同じ力を求められても、それに応える術を知らない。

 

心ここに在らずという顔で廊下を歩くベルに、サヴァンが声をかけた。

「ベル、少々時間をよろしいですか。余計な世話かもしれませんが、君の先祖、フリージア家の話をしましょう。知らないものには漠然とした不安が追いかけてくるのです。知れば不安を拭い去ることはできなくとも何かを得るかもしれません。まあ、君が私と話をしたくないと言うのなら手間もかからなくなるので一向に構いませんが」

ベルは彼の気遣いがありがたかった。最後の一言が余計な気がしたが、それも彼の持ち味なのだろう。

サヴァンさん、教えてください。一体私は何を期待されているのか、知らないままなのは嫌です。お願いします」

2人は通り道にあった中庭に行き、真っ白なベンチに腰掛けた。中庭には色とりどりの木花が植えられ、隅々まで手入れされている。フルールから取り寄せたものだろうか。ベルにとっては花々に囲まれた空間が故郷を思い出させ、心地よかった。

「さて、君は先程、親族から何も聞かされていないと言いましたね」

サヴァンは腰掛けるやいなや顎に手を当てて口を開いた。

「はい。私、両親とは幼い頃の記憶しかないのです。幼かったから、誰も教えてくれなかったのでしょうか…」

ベルは少しうつむいて膝の上においている拳に力を入れた。

「その可能性はありますね。親族でなくとも、周りの人は誰もそのことについては触れなかったのですか?」

サヴァンは探るような目でこちらを見やった。

ベルは伏せていた顔を上げ、キラキラと差し込む空の光に目を凝らした。

「両親も誇り高き兵士で…ほかの親族も戦いに身を投じている者ばかりでした。それで、私がいくつの時だったかは記憶があやふやなのですが、大規模な戦いで皆帰らぬ人となりました。それからは、ありがたいことに両親の友人が目をかけてくれて…あ、両親とは特に懇意にしていたみたいで、とても心配してくれていて。私にとってはその人が育ての親なのです」

ベルは膝の上で握っていた手を開き、自分の掌を見つめ、話を続けた。

「育ての親…は、本当の娘のように育ててくれました。それはもう、お礼を言い尽くせないほど慈しんでくれました。だからこそ、私がフルールの騎士団に入る時とても心配されました。両親と同じ戦う道を選ぶことに反対していて。おしとやかに、街の女の子として生きなさいと。結局言いつけは守らないわけなんですけれど」

サヴァンはふむふむと1人で納得したような様子で口を開いた。

「なるほど合点がいきました。君が幼い頃に生き別れとなった戦争についての説明は割愛します。そこで君がフリージア家唯一の生き残りとなったというところまではこちらでも調べがついていました。しかしなぜ君が一介の兵士のままなのか不思議だったのですがそういうことだったのですね」

彼はスッキリしたという表情になっていたが、何に合点がいったのかさっぱりわからなかった。

サヴァンさん、どういうことでしょうか」

ベルはやや不穏な目つきで首を傾げた。

「ああ、すみません。デリカシーのない言い方や言葉が足りないところはよく注意されるので一応気をつけているのですが、簡単には直りませんね。気を悪くしないでいただきたい」

「いえ、大丈夫です。それよりも、今の話でわかったことを教えてください」

ベルはグッと肩に力を入れた。

サヴァンは足を組み直して背もたれに寄りかかった。

「君の育ての親のことですよ。君は大事に育ててくれたその人に対して莫大な恩義を感じ慕っている。そしてその人は君が戦うことを反対している。それに応えたい自分と戦いの道を選びたい自分の狭間での葛藤が、無意識下で君の力を抑え込んでいるのでしょう」

ベルは目を見開いた。それに構わずサヴァンは続けた。

「“街の娘として普通に暮らす”のを実現させようと思ったり、フルール騎士団に入ることに負い目を感じたことがあるのでは?少しでもそういう心当たりがあるのなら、それが足枷になっている可能性は十分に考えられます」

ベルは顔を伏せた。十分すぎるほど心当たりがあったからだ。騎士団に入ることが、育ての親を裏切ったような気持ちになる事すらあった。でも自分の気持ちに嘘をつくことはできないと決意して、フルール国軍の兵士になったのだ。

「でも…たとえ負い目がなかったとしても私にそんな力が…」

ベルは顔を伏せたまま、小さな声で言った。

「先祖代々の力がそのまま受け継がれるかといえば、そうではありません。年々能力は薄れてきていることは確かです。フォートのように、自分では気づかないまま力を発揮しているパターンもありますが。しかし、フリージア家の能力は…」

と、サヴァンが言いかけたところでドタドタと騒がしい足音が聞こえた。

「おーい!あっちですげえ旨そうなもん用意してあ…ってサヴァン!なにベルを泣かしてんだよ!」

サヴァンは、ハッと隣にいるベルを見た。顔を伏せていたので彼女の表情までよく見ていなかったのだ。

ベルは拳を握ったまま勢いよく立ち上がった。

「な、泣いてません!サヴァンさんには色々教えていただいていただけです!サヴァンさん!ありがとうございました!またお礼はあらためます!失礼します!」

ズカズカとフォートの横を通った。

「あ、ベル!部屋戻るのか?あっちにメシ用意してあったぞ!」

「いりません!!」

ベルは振り返らずに返事をして行ってしまった。

「なんだあ?あんなに肩に力いれてたら疲れちまうぞ。サヴァン何やったんだよ」

「先祖の話をしていただけですよ。彼女が泣きそうになっていたことは気づかなかったので切り上げて正解だったかもしれません。フォートはよく遠くからでも気づきましたね。野生のカンというやつでしょうか」

「野生のカンてなんだよ。野生の俺も栽培の俺もねえっつーの」

サヴァンは呆れたように横目で見てため息をついた。

「あ、今すごいバカだなって思っただろ。わかるんだぞそういうの」

「さすが野生ですね。食堂はあちらですか」

「さらっと流すんじゃねえ。食堂はあの角曲がったほうだけど」

やいやい言いながらも、食堂の場所を教えるのがフォートのいいところだなとサヴァンは思った。同時にそれを口に出して褒めることもしないでおこうとも思った。無駄に調子に乗るのが癪に障りそうだったからだ。

「そうですか。では」

サヴァンはスタスタと食堂へ向かった。

 

 

ベルは部屋に戻り、今までのことについて考えていた。本当の自分の気持ちとは何か。

どれくらいそうしていただろうか。

辺りは静まり返り、人々は就寝する時間になっていた。

ソレイユでは日が暮れることはない。どんな時間でも燦々と空は輝いていた。

ふいに部屋の扉ををノックする音があり、扉を開けた。

そこにいたのはフォートだった。

「よ。大丈夫か?おまえメシ抜きだっただろ。少しわけてもらったから食えよ」

フォートが持った皿には美味しそうなサラダとパンが乗っていた。

「あ、ありがとう…」

ベルは皿を受け取った。色々なことがありすぎたからか、フォートの優しさが、まっすぐ伝わって目尻に涙がこみあげた。

それじゃあ、と慌てて扉を閉めようとしたが、フォートがバン!と扉を止めた。

「待った。やっぱ俺も一緒にメシ食うわ。メシ食ったら帰るから部屋入れてくれ」

「や、あの」

ベルは言葉につまりフォートを帰すタイミングを失った。

フォートはソファに座ると、メシは1人で食うより誰かと食ったほうが美味いんだよと言って笑った。

ベルは向かいのソファに姿勢を正して座った。

 持って来てもらったサラダを食べながら、ベルは口を開いた。

「フォートさんは」

「フォートでいい」

「フォート、は」

カタン、と持っていた食器を机に置いて見つめた。

「自分の先祖がすごい人だったって聞いて驚かなかったの?」

フォートは、うーん、と顎に手をやった。

「そりゃあ、驚いたけどな。でも先祖は先祖だし、俺は俺だろ」

「そうだけど…」

ベルはぎゅっと口の端に力を入れた。

「ベル、そうやって我慢して力いれてると、戦う前に疲れちまうぞ。なんでもいいから吐き出してみろ」

ベルは彼がフレイムの第一隊長である所以がわかった気がした。人の気持ちの機微に聡く、世話焼きだ。オブラートに包まないという短所もあるが、それが長所でもあるのだろう。彼の人望が厚いことが容易に想像できた。そして、その率直さが素直に羨ましく思えた。

「私は、今回の事態を何としても食い止めたい、私に出来ることはなんでもやる、それは本当の気持ちだ。けれど、今の私の実力以上の特殊な能力を期待されていると知って、どうしたら良いのかわからなくなってしまった」

ベルは目を伏せた。こんな弱音を吐く自分も嫌だった。

「上等じゃねえか」

フォートはニカッと笑った。

「今の自分にできることを全力でやる、全員、それだけだ。特殊能力があろうとなかろうと、土壇場でその力を出せるかどうかは別の話だと思うぜ。先のことなんて誰にもわからねえ。ベル、絶対食い止めたいっていうその気持ちひとつでアージェントの元に飛んで来たって聞いたぜ。その行動力はフルールでお前1人だったっていうのは間違いねえじゃねえか」

ベルはハッと顔を上げた。目線の先にはフォートがどっしりと構えて微笑んでいる。

フォートは「もう、大丈夫そうだな」と呟くと皿の上のフルーツの実をつまんでベルの口にグイッと押しやった。

「ほら、これモリモリ食って、ぐっすり寝ろ」

「フォッ、フォート」

ベルはもぐもぐと口に手を当ててうまく喋れない間に、フォートはじゃあな、と部屋を出て行った。

 

口にたまったフルーツを飲み込んだベルは、落ち込んでいた気持ちも一緒に飲み込んだかのようにスッキリとした気分になっていた。

起きたら、サヴァンさんにまたきちんとお礼を言いに行こう。

あと、フォートにも。

会ったばかりなのに優しい人達ばかりだ。

落ち込んでる暇などないと、ベルはまた姿勢を正した。